「痛ぇな」
久し振りの休日。繁華街へと買い物に出たデジルは、歩道で柄の悪そうな男に肩をぶつけられた。
「悪い……、?」
ぶつけてきたのは相手の方だというのに、しかもぶつかったというよりは触れた程度だというのに、嫌味のない声で潔く謝るデジル。売られたケンカを買っていざこざを大きくするよりも、こうした方が当然話は早い。警察手帳は勿論肌身離さず持ってはいたが、なんと言っても今日は非番なのだ。折角自分の時間ができたというのに、下らないことで無駄にしたくはなかった。
だがデジルの表情が、相手の顔を確認した瞬間に止まった。意表を突かれたらしくそのまま立ち去ろうとした男も、ふと何かに気付いたかのように、デジルの顔をしげしげと眺めている。『肩をぶつけられた』と言いがかりをつけられた挙句殺される筈だった男が、今デジルの後ろを知らぬ顔で過ぎていった。
「あんた、前にどこかで……」
しばし沈黙した後同じ台詞を同時に言いかけて、デジルの方はふっと笑い、男は不機嫌そうにデジルを睨んだ。すらりとした長身に纏っているのは、白地の蛇柄という派手なジャケット。見覚えは……あるような、ないような。ふと香り立つ白檀の匂いも、どこかで……?
「あのさ、今時間ある?」
「ああ? …別に急いじゃいないが」
「じゃあ、立ち話もなんだから、ちょっと付き合ってくれよ。ぶつけたお詫びもしたいし」
悪戯っぽく微笑うデジルに胡散臭そうな表情を見せながら、それでも男はふん、と頷いた。
「刑事、だと?」
近くのコーヒーショップに入って互いに初対面だと確認した後、デジルの職業を聞いて、朝倉と名乗った男が大袈裟に驚いてみせる。
「あんたが? その面で??」
明らかに年下の相手に鼻先で笑われ、デジルは苦笑する。そう見えないであろう事は、誰よりも彼自身が一番よく知っているのだが。
「で、オレに声掛けたのは? 職務質問でもするつもりだったか?」
「あのな、だったらこんなトコで一緒にコーヒーなんか飲んでないだろ」
「…ああ」
確かに、射るような朝倉の鋭い目付きは、相手にあまり良い心象を与えはしないだろう。だがデジルは、何故かその瞳に惹きつけられていた。
「そろそろ混んできたし、出るか?」
会話が成立した、と言うには程遠い状況のまま、伝票を手にしたデジルが出入り口を指す。客が数人待っているのが見えた。
店を後にしたふたりは、「いい酒があるから飲んでいけ」という一見強引なデジルの誘いに朝倉が乗って、彼の部屋へと向かっていた。
朝倉自身、会ったばかりのこの男が何故か気になっていた。自分の周りに居る人間にはいつもイライラさせられてばかりだと思っていたが、こいつは違う。何が違っているのかは分からない。あえて言うならば──その晴れ渡る空のような青い瞳かもしれない。
「入れよ、何もない部屋だけど」
「……ああ」
マンションの一室に招き入れられて、何故こうまで素直にこいつに付いて来てしまったのだろうと、朝倉は心の中で苦笑した。それでも、今更帰るのもおかしな話……朝倉はおとなしくデジルに従った。
入り口で靴を脱ぎ、部屋に上がった辺りで、デジルの手がすっと伸びて鍵をかけ、ご丁寧に防犯用のチェーンまで引っ掛ける。一瞬戸惑うような表情をしてみせた彼の眼が、静かに朝倉を見上げた。
「!」
首にデジルの腕が回されるのを感じた瞬間、朝倉の唇は彼のそれで塞がれていた。触れているだけのそれが、僅か震えているように思われるのは気のせいか。
「……いつもこうやってオトコを連れ込んでンのか?」
唇が離れた瞬間、揶揄するように朝倉が呟く。
「違う。多分、朝倉だから」
「オレ?」
「なんていうか、その……お前の顔を見た瞬間から、この辺りがおかしくて」
言いながらデジルが自分の左胸をぎゅっと掴む。朝倉にも思い当たる節がないではない。一瞬迷うように逸らされたデジルの視線が、もう一度朝倉に向けられる。
「…あと……身体の奥の方が、熱くて、さ」
デジルの手が、苦笑する朝倉の頬をいとおしそうに撫でた。
「朝倉さえ嫌じゃなかったら、宥めて欲しい。こんなのは、俺も初めてなんだけど……」
その言葉を言い終える前に、今度は朝倉がデジルの唇を奪った。歯列を割って滑り込んできた舌が、デジルのそれにねっとりと絡み付く。
「ん…っふ…」
鼻腔をくすぐる、白檀の香り。呼吸が乱れるのは、苦しいからだけではなくて。
「ここでいいのか?」
「ん……じゃあ、ベッドで」
囁くようなデジルの声に、朝倉は黙って頷いた。
「…朝倉……っ」
もつれるようにベッドに倒れこむと、朝倉の手がデジルのワイシャツを引き裂くようにして脱がせた。何に急かされているのか自分でもよく分からないのだが、だがその行為が決してデジルを怒らせたりはしていない──むしろ歓迎されていることだけは確かだった。
乱暴に髪を引き、再び唇を重ねる。舌も吐息も何もかも絡ませ合う、深い深い口付け……唇が離れると、デジルがほう、と溜め息を零した。
「デジル」
呼ばれて浮かべる微笑みに、朝倉の指先がその唇を辿る。そのままゆっくりと耳元へ、首筋へ……そして唇がその後を追う。女の肌触りとは違うそのしなやかな肢体が、触れるたびに小さく反応を返す。
「朝倉……んっ」
露わになった上半身に掌を這わせ、その滑らかさに朝倉が感嘆の声を漏らす。細い指が胸に紅く色付く突起を捉えて弄ぶ。頭を抱き込まれるままに舌を伸ばしてそれに触れると、ふるり…デジルの身体が震えた。
「…ぅ……ふ、ぁ……、っ!」
胸に腹にと散らされていく、小さな赤い花びら。ベルトが緩められ、あっと言う間にスラックスを引き剥がされる。汗ばんだ内腿を撫で上げる掌に、デジルがもどかしげに腰を浮かせて見せた。
「まさか、他人のコックと仲良くする羽目になるとはな」
「嫌なら…しなくても、いいけど…っ、ぅん…!」
ちろ……不慣れな動きで先端を舐める舌先に、かえって熱欲がかきたてられる。割り開かれた尻の間に指が滑り込み、入り口をほぐすように撫で始めた。
「んあ…朝倉、ぁ……も、いい、から…」
暫くの後、デジルが腕を伸ばして朝倉の動きを止める。我慢出来ない……そんな呟きに、朝倉が僅かに苦笑してみせる。
「言っておくが、俺はオトコとするのは初めてなんだ。痛くても知らねえぞ」
「俺が、初めてじゃ…ないから…大丈夫」
「そういう問題でもねえだろ」
囁きは、唇で遮る。潤んだ瞳に誘われるままもう一度深く口付けて……デジルの手で導かれた朝倉のそれが、彼の中心を貫いていく。
「あぁっ…く、ふぅ……っっ!」
「痛ぇんだろ?」
問い掛けには、首を横に振って返された。
「続けろよ、朝倉……平気、だから」
「…分かった」
ふう、とひとつ呼吸を置いて、朝倉が小刻みに腰を突き上げ始める。耳朶を打つデジルの喘ぎが、官能の響きを含んで蕩けていく。
「熱い、な……凄ぇ」
「朝倉……ぁっ…ぅん……」
朝倉を全て受け入れ、大胆に開かれたデジルのしなやかな両脚がびくんと震える。縋るように背中に腕を回したデジルの腰を、朝倉がしっかりと抱え込んだ。
「いくぜ」
静かに頷くのを確認して、朝倉がゆっくりと抽送を開始する。あまりの熱さに、内側にあるそれだけでなく、全身が融かされてしまいそうな気がした。
「く…朝倉…、あぁっ…あ…っ!」
身体が馴染むにしたがって、朝倉の動きがスムーズになっていく。繋がった辺りから溢れるいやらしい音に、デジルの小さな悲鳴が重なる。激しく揺さぶられ、乱されながらも、快楽を貪るようにデジルが腰をくねらせる。
「あっ、はぁっ……くぅうっ……!」
「イイぜ…ほら、もっと強請ってみせろ」
そう言うなり、朝倉が抽送の速度を上げる。
「やっ…はぁ、っ…朝倉ぁっ!!」
「おい、そんな、デカイ声……外に、聞こえちまうぞ」
「そんな、こと、言われて、も……ダメ、止まん、ないっ…ぁあっ!!」
ギリギリと締め付けてくるその感覚。朝倉の動きが、これが最後と言わんばかりに激しくなっていく。体温の上がるごとに強くなる香の匂いに、眩暈がしそうだった。
「あぁっ…あ、朝倉っ、俺……もぅ、イクっ……ああぁあああーーーっっ!!」
「くぅ───っ!」
自身の最奥を叩く熱い炎を感じながら、デジルは意識を手放した。
「綺麗な眼をしてるんだな」
組み敷かれた体勢のまま呼吸を整えていたデジルが、朝倉を見上げてぽつりとそう呟く。
「……そんな事言ったのはあんたが初めてだぜ」
「そりゃ……あんな風に睨まれたら、まともに目を合わせられないだろ」
くすり、と笑みを浮かべるデジルに照れたのか、朝倉は彼と入れ替わってベッドに転がると、その身体を胸に抱きこんだ。クスクスと笑うデジルの呼気が肌をくすぐる。
たどたどしく髪を梳く指先……先刻の行為を思い起こしてみても、技量があるというよりはただただ乱暴な愛し方だったのだけれど。それだけ夢中になってくれたのだと、デジルは解釈していた。それに自分も……。
「朝倉……ちゃんと満足出来た?」
「ん? ……ああ」
単純にオスとしての生理的欲求が満たされた、というだけではないその充足感は、朝倉が初めて味わうものでもあった。今までに抱いたどのオンナとの行為にも、こんな満ち足りた思いを感じたことはなかったというのに。それを巧く言葉で表現することが出来ず、朝倉はまたデジルの髪をそっと撫でた。
「まさかこの俺がオトコ相手に……」
「なに?」
聞き取れずに顔を上げたデジルを、苦笑で誤魔化す。
「あんたの方こそ、あんな声」
「言わないでくれっ」
流石に恥ずかしいのか頬を朱に染め、デジルが朝倉の口を手で覆う。その様子があまりにも可笑しくて、朝倉がくくく、と喉を鳴らして笑った。
「明日になって両隣から冷たい目で見られても、オレは知らねぇぞ」
「覚悟しておくよ。……それより、シャワー浴びる?」
困ったような顔で朝倉を見つめながら、デジルが身体を起こしかける。その腕を捕らえて再び胸に抱き寄せると、朝倉がその耳元に囁いた。
「あんたと一緒になら」
「…………バカ」
シャワーの間にもひと汗かかされたデジルは、結局その晩朝倉の腕に抱かれて眠りに落ちた。
この世界のデジルが拓磨と知り合うのは、その後のことである。
das Ende